白血病闘病中の夫ですが、なかなか変わった人生を送っています。
ちょっと普通じゃない夫に、今までの人生を思い出して書いてもらいました。私の知らない事実もいろいろ出てくるらしいので、読むのが楽しみのような怖いような・・・
是非、ご覧ください。
生まれ
1958年10月 俺は宮城でこの世に生を受けました。
4人兄弟の末っ子です。
幼少期、小学校、中学校と普通に過ぎ、高校になってから少し変化が現れます。
それは、高校1年の時に当時人気番組だった
「スター誕生」に出場!
スター誕生
スター誕生に出場したことから、俺の人生色々が始まったような気がします。
仙台で予選をし、その時に歌った歌が野口五郎さんの『夕立の後で』。
予選突破と思いきや落ちちゃったんですが、予選突破した一人が出場辞退したので私が繰り上げ当選。ラッキー!!って思いましたね。
そして、仙台での初めての「スター誕生」に出演したのです。
今思えば、少し緊張したかな。
あんなに観客がいるホールなんかで歌った事がなかったので、緊張は当たり前?
会場には兄貴が見に来てて、俺の歌を聴いて
「なに、そんなにうまかったの?」
って言われました。
そして結果は、よく覚えてないけど240点位だったかな?
合格点が250点だったからダメでした・・・
でも出場者の中で一番の高得点だったんですよ!
審査員の阿久裕さんから言われたのが
「野口五郎はもういらない。」
その時のゲスト歌手が、野口五郎さんその人だった事も偶然です。
2度目のチャンス
それから2年後、高校3年の時にまたスター誕生の出演機会が!
この時は特別企画で東北大会、宮城だけではなくて東北6県の代表で競ったんです。これにも勿論オーデションはありました。
その時歌った歌が『白い1日』
井上陽水さんの名曲ですよね。この曲で見事予選突破!!
だけど審査員だった横森良蔵さんから
「そういう歌はステージ映えしないから『いちご白書をもう一度』を歌いなさい」
って言われ、出場まで家で猛練習。
何とか歌詞もすべて覚え準備万端で出場したんです。この時は仙台ではなく東京の後楽園ホールでの出演だったので、仙台から東京まで初めて飛行機に乗れたのが嬉しかった♪
いざ本番!!
しかし、かなりあがってしまって歌詞をど忘れ(汗)
それも一番盛り上がる
『あめに~♪』だった・・・
この3つの歌詞を抜かし『や~ぶれかけたあ♪』から何とか歌ったんだけど、後の祭り。
結果・・・またダメ(涙)
どこの音楽事務所からも札が上がることは無かった。ここで札が上がってたら俺の人生一体どうなっていたのかなってね。
俺の審査員は都倉俊一さんだったな、なんて言われたかは全く覚えてません。
ちなみに、この時のゲスト歌手が岩崎宏美さんとピンクレデイーでした。
高校卒業後
高校卒業後、推薦入学で東京の工学院だったかな、そこで一応勉強しようとしたんだけど、金も掛かることなので住み込み新聞配達の仕事をしながら頑張ろうと思ったの。
でもそれが悪かったのか、すぐ病気になってしまい結局大学にも行かず、実家に帰って入院してしまった。入院生活がどの位だったかは覚えてないけど、結構長かった気がする。なんの病気だったかは今となっては覚えてないですね。
【2】へつづく