諦めない
私たちが結婚したのは2003年9月でした。
来月には結婚記念日がくるので「お祝いしようね」と言っていました。
どんどん痩せて行く夫の身体を見ると、記念日を一緒に迎えられるのか、不安に襲われる度に「絶対に大丈夫」と何度も自分に言い聞かせていました。
8月4日に容体が悪化した時、肺炎がかなり悪い状態だったので「いつどうなってもおかしくない」と言われました。
その言葉は本当にショックで、夫が今にも逝ってしまうんじゃないかと、本当に怖かったです。でも、そのショックの後
『医師になんと言われようと先の事は誰にもわからないし、まだ夫は頑張っている。
諦めたら頑張っている夫が可哀想すぎる。
周りの人がどう思おうと、私は絶対に諦めないで夫が治ることを信じる!』
諦めたら頑張っている夫が可哀想すぎる。
周りの人がどう思おうと、私は絶対に諦めないで夫が治ることを信じる!』
そう決心しました。
その日から、夫への看病のしかたが大きく変わりました。
今までも毎日病院へ行っていましたが、必要な物を持って行き、飲み物を渡したり、身体を起こす手伝い、たまに脚のマッサージをしていたけれど、ただ側にいる時間の方が多かったです。
それが、夫の状態を絶えず確認し、手を握り、むくんだ脚をマッサージし、腰や背中が痛むだろうと、ベッドと体の間に手を入れマッサージするようになりました。
肩や首をもむと眉間にしわを寄せるので、痛いんだと思い「止める?」と聞くと「もっと」と返事をした夫。
しばらくマッサージしていると、気持ち良さそうな顔をしていました。
果物好きの夫
そんな日が続き、私には少しだけれど、良くなっているように見えていました。
少し話せるようになり、自分で飲み物を飲み、スイカを食べて「美味しい」と言う夫の姿をみると、ほんのわずかだけど希望が見えたんです。
それが一筋の光でも、私はその光を信じて、夫の為にできることはなんでもしようと思っていました。
パンやご飯、おかずを持って行っても食べようとしなかったけれど、スイカなら食べてくれたから、毎日果物を持って行くことにしました。
スイカ、ぶどう、梨、キウイ、桃
日によって食べられる量は違いましたが、どれも食べてくれたので、食べる気力があるから大丈夫だと思っていました。
最期の日
夫が最後に口にしたのは『梨』でした。
梨をシャリシャリと良い音をたてて食べてくれ、「また明日も果物持ってくるからね」そう私は言ったのに、それが最後になるなんて本当に思ってもいませんでした。
でも、最期まで自分の口で食べてくれたことが、私には救いになります。
もっと早くから果物を持って行けばよかったと後悔もありますが、夫が好きな物を食べられたこと、本当に良かったと思っています。