普通じゃない!?夫の人生まだまだこれから【3】

夫 ライフ

白血病の夫が闘病の合間に書く、
『ちょっと普通じゃない!?夫の人生まだまだこれから【3】』です。

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東京の生活

東京生活

六本木のナイトクラブで働いていたけど、そこも何かの事情で辞めることに。

次にやったのがポルノ写真を撮るカメラマン峰さんの助手。あの頃は今となったら凄かったなって思いますよ。若いお姉ちゃんの裸の写真をパチパチ。凄い世界を覗いていました。

アパートにはジョー君から貰ったシーズー犬、名前は「ゼニ」
それと、「太郎」と「ピンク」って名前の猫2匹を飼っていました。

あの、4畳半一間でひろちゃん、ゼニ、太郎、ピンクと生活していたけど、あれはあれで楽しかったな~。その頃は、部屋で犬や猫を飼うことにうるさくなかったような気がします。

その後もっと大きな部屋に引っ越したけど、そこは10畳のダイニングキッチンに6畳の寝室、東中野の神田川のすぐ側でした。

人生の転機

アメリカ

そのあとにやってきたのがアメリカに行こうって話。

伊勢丹時代の仲間とね。男3人、女2人で、早速観光ビザを申請!

そのころ付き合っていたひろちゃん、ジョー君と別れて傷心だったますべー、そして岸君に安西さん。(今も元気にしているかなあ・・・。)

俺はひろちゃんと家財道具、犬のゼニ、そして猫2匹をレンタカーで実家まで運び、兄から30万だったかな、援助してもらって5人でアメリカへと向かいました。

初めてのアメリカ!

そのころはまだ片道切符でアメリカに行けたんだよね。今では有名な会社だけど、当時HIDEインターナショナルって名前だった会社で航空券を買ったのが、チャイナエアーで『羽田→ハワイ経由でロスアンジェルス行き』。

イミグレーションでもらった滞在期間は半年でした。

Los Angels空港の外に出たら、なんだかどこもガラガラで不思議に思っていたら、その日は7月4日『July Fourth』アメリカの独立記念日

1982年だったな。

最初は安ホテルに宿泊し、アパートを探しました。

実は、最初から観光ではなく、アメリカに住むつもりで渡米したのです。

アメリカでの生活

見つけたアパートは、幾らだったかは覚えてないけどロス市内の結構広いアパートで、5人で住むには十分でした。住むところが決まると、今度は仕事探し。お金があって来た訳ではないので、すぐに仕事をしなきゃいけない状態でした。

アメリカでの必需品、車はボロボロのキャデラックを確か300ドル位で買ったけど、エンジンはしっかりしていて結構長いこと乗りました。(当時は1ドル約250円だったかな)

 

初めてロスでやった仕事が飲み屋さんのボーイ。
ロスには日系の飲み屋さんが結構多かったので助かりましたね。日本でも経験があったからすんなり仕事には馴染みました。ひろちゃんとますべーも、同じお店でホステスとして仕事を始めたんです。他の2人は何をやっていたか、もうすっかり忘れたな。

その後、新しくオープンしたお店に移ってまたボーイとホステス。その後かな、今となっては覚えてないけど俺とひろちゃん以外の3人は日本へ帰国し、その後は逢うこともありませんでした。

アパートも移って2人で暮らし始め、色々あって何年か後にひろちゃんとも別れ、俺はそのままロス、ひろちゃんはサンフランシスコに移住。

その後1度だけサンフランシスコでひろちゃんと会ったんだけど、すっかり人が変わっていて後はそのまま。今どこで何をしているかはさっぱりわかりません。

(写真は全てイメージです)

】へつづく