これは、白血病と闘う夫が書く
「ちょっと普通じゃない夫の人生」です。

再び東京へ
退院して半年くらいたって、就職でまた東京へ。
就職先はレストランやお寿司屋をやっていた会社。
俺の仕事はトラック運転手、築地から荷物を積んで各お店に荷を卸す作業です。
結局そこは辞めてアルバイトを始めたんだけど、トラック運転手の時に新宿の歩行者天国にトラックで入っちゃって、お巡りさんに両腕捕まれて交番に連れていかれた事は、今でも覚えています。それがあって辞めたのかな、きっと。
住んでいた会社の寮を出て、移り住んだのが高田馬場。
古~い4畳半の共同トイレに共同キッチン。アルバイトは当時伊勢丹の屋上にあった遊園地!豆汽車の操縦をしていた記憶があります。
その頃、まだあきらめてなかった歌手への憧れがあって、池袋にあった歌謡教室に通い歌のレッスン。先生は結構歳をとったおばあちゃんだったな・・・
誰から誘われたか覚えてないけど、池袋のナイトクラブで働くようになり、住居も池袋に移動。こっちも同じ4畳半一間の部屋でした。
なんせお金が無かったからね、ナイトクラブも初めての体験だったけど、自分なりに一生懸命働いてました。
今度は池袋から新宿へ。
新宿でもナイトクラブで働いてお金を稼ぎ、今度は東中野に引っ越し。そこはまだ出来たばっかりの新築で、4畳半にバストイレ付、小さなキッチンも備わっていました。
そのアパートへの道筋はあの有名な高校「堀越学園高校」!
校門の前を通る度に、有名タレントさんも通う学校だったので、ちょくちょく覗いていました(笑)
この時期に知り合ったのがひろちゃん。
新宿のナイトクラブで働いていた時、彼女はホステスさん。話をしてみるとなんと田舎が同じ!しかも実家から車で20分って近さ。そんな彼女とお付き合いが始まり、その狭い部屋で同棲生活。
バンド結成!
まだ同棲する前に、友達の青柳くんの知り合いに歌手の「豊川ジョー」さんがいて、アパートに青柳くんとジョーくんが来て一緒にバンドをやろうって事になったの。俺は何も楽器が出来なかったけど、一生懸命練習してリードギターの位置に!
1度だけ新宿のホールでコンサートをしたのを今でも鮮明に覚えています。
勿論リードボーカルは豊川ジョー!
ファンはジョーくんのファンばっかり(涙)
何回か飲み屋さんへドサ周りして、熱海なんかも回ったな~ジョーくんと2人でね。
その仕事もなくなって次にやったのが、またナイトクラブ。
今度は六本木、結構な高級クラブで有名人も来るお店でした。今覚えているのは小林旭さんとかがよく来ていましたね。
そのお店では、ボーイ兼歌手って事で働いていたのでよく歌いました♪
一番記憶の残るのが、元とし伊藤とハッピーエンドブルースのメンバーだった人も働いていて、2人でデュエットした「あずさ2号」です。
なかなかの出来でしたよ!
【3】へつづく