職に就いては辞めるを繰り返す夫。そんな中、また新たな人との出会いが転機になります。
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新たな会社
その後、また会社を自分で始めました。
以前の仕事で知り合ったお客さんのNさんが、ホームページ作成などを手掛ける仕事をしていたので、Nさんから「ホームページ作ってネットで商売すれば」って言われたんですよね。
とにかく最初はベガスの写真を撮りまくり、色んな所に行って記事を書きまくってホームページに載せていたら、どんどん見てくれる日本の人が増えて行ったのです!
それからもう最高の日々を送れたのが今でも覚えています。定期的に日本からやってくる仲間と一緒に遊ぶ!これが楽しくって商売そっちのけでみんなと遊びまくりましたね。
レークミードに行ってクルージングとかバーべキュー、いろんなお店に行ってみんなで舌鼓♪
そして日本への一時帰国の時はみんなでパーティーやったり旅行行ったり。鮮明に覚えてるのは、札幌から函館までの車での旅、そして福岡から大分の別府温泉などなど楽しかった思い出がいっぱいです。新潟、青森にも行ったなあ・・・
あ~懐かしい!みんなありがとうね!!
転機
一番あの仕事をやって良かったと思うのが、今のおかあちゃんと会えたこと。
派手なことがあまり好きじゃないおかあちゃんとは結婚式もしてないし、なんせ家に居て自分の好きなことをやっているのが大好きな人。15歳も離れているのに、今じゃおかあちゃんに頭が上がらないですね。ほんと「ありがとう」の言葉しかないです。
そんな楽しい毎日を送っていたけど、少しずつ陰りが・・・
今後の事を考え、このままアメリカで頑張るか日本へ帰るかの選択を迫られたのです。
大金を持って日本に帰るなら良いけどそうじゃないから、自分の年齢を考えると今ならまだ新しいことも始められるし、どこかで雇ってもらうことも出来ると思う。でも、これ以上歳をとると難しくなるし、帰るなら今しかない・・・
日本へ
悩んだ結果、2007年1月に帰国。
1か月ほど、おかあちゃんの実家にお世話になった後2DKのアパートに引っ越し。その部屋は日当たりもよく快適で、10年以上住んでいました。
仕事のほうは、アメリカでやっていた職種を探したけど、もう50近い俺を雇ってくれるとこもなく、その間おかあちゃんが以前勤めていたショップでアルバイトして、何とか生活が成り立ちました。
自分で何か始めようと思ったけど、アメリカ生活のほうが長くて日本では何をどうしていいかわからない状態だったから、職安に通って色々探してやっと決めたのが、ネットで広告収入を得る会社。
なんか変な会社で結局長続きせず辞めちゃった・・・
俺に何ができるか考えたら、料理が好きだったのでそっちの方を求人雑誌で探したの。それで見つけたのが水産系の会社。
見事就職!
スーパーの魚コーナーを預かる会社。
そこで1から魚のさばき方やらお刺身の切り方、煮物焼き物を覚え一生懸命働きました。でもね、もともと魚を捌くことが嫌いじゃなかったのが良かったんだと思うんだよ。
最近の若い子は魚をさばけない子も多いって聞くしね。
長兄と親父
帰国して1年ほどで長兄が交通事故で亡くなった。
この長兄が、俺がアメリカでおかしくなった時に迎えに来てくれた人。一番初めにアメリカに行くときもお金を用立てしてくれた、本当に面倒見のいい兄でした。
不慮の事故で亡くなるなんて思いもしなかったし、今でも信じられない気持ちですね。
翌年には親父が病気で死去。
次兄から連絡をもらいすぐに飛行機に乗り病院へ行くと、まだ話すことができ病院で数日頑張ってくれた親父。
俺が売店で買ったアイスを全部食べた後の一言
「不味い・・・」
ホントに親父らしい言葉でずっと忘れないですね。
いろいろ迷惑かけた親父の最後に、側で見守れた事は日本に帰ってきて良かったと思うことです。
闘病の始まり
そして2010年、今度は俺の膀胱癌。
血尿が出たので近くの泌尿器科に行って検査してもらったら「膀胱癌」だと。
そこで紹介されたのが日赤。入院して色々検査した結果、膀胱を取る手術か、他院での膀胱温存療法のチョイスを言われ転院。
内視鏡手術に抗がん剤1回、放射線治療30回、なんとか癌細胞が無くなったのです。
でも2011年の1月から白血球が減り続け現在に至る。手術前白血球は減るけど、そのうち戻るからって言われていたのに全く戻らずでした。
つくづく思うのは、がん保険とか入る事がなかった俺でも会社に入って保険も有り、定年で辞めた後でも傷病手当が出ている状況。なんてラッキーなのかって思います。あの会社で10年働いてほんと良かったと思います。
アメリカは日本と保険制度が違うから、あのまま向こうにいたらと考えただけで恐ろしい・・・やっぱり日本へ帰ってきたことは、間違いじゃなかったと思いますね。
再会
白血病治療に入って1度目の抗がん剤治療、確かに色々副作用はあったけど1か月半位で退院。白血病の治療に入る前から入院してたから、実質2カ月ちょっとだけどね。
でも、2度目はそうはいかなかった。
副作用が前より酷く感染症まで発生!
もう生きた心地がしなかった・・・そんなころおかあちゃんが昔の仲間にコンタクトしてくれて、早速お見舞いに来てもらったのです。
10数年振りに合うその仲間は全然変わってなくて、遊んでいた頃のまま。その仲間が帰ったあとは涙が止まらなかった。もう嬉しさと懐かしでボロボロ。
他にも電話で連絡が取れた仲間と話をしていても、また涙が止まらない・・・
ほんとベガス時代の思い出がよみがえり涙涙の日々が今も続いています。自分が弱くなると楽しかった事を思い出し泣けてくるもんなんですかね。歳のせいで涙もろくなったのかも知れません。
今現在は自宅療養中で体力が戻るよう散歩する毎日。まだまだ治療半ばですが、これからどうなるのか前向きに物事を考え、楽しく人生歩んで行ければ幸いです。
2020年1月22日 夫
あとがき
以上が夫が書く「今までの人生」です。
なかなか普通じゃないと思いません?(笑)
私も初めて知ったことが多く、少しは聞いていたけど「そうなの!?」ってことが沢山ありました。今回、改めて夫が自分の言葉で書き、ブログで多くの方に読んでもらえた事は、まだまだ続く白血病の治療にはきっと良い影響をもたらすと信じています。
主治医にも「治療は難しい」とは言われていますが、可能性は0ではありません。
見事に復活して、さらに普通じゃないところを見せて欲しい!
この先どんな事が起こるのか側で見守っていきたいと思います。
最後まで読んで頂き有難うございました。
夫 Shun (編集 妻よりり)