百ヵ日
明日は夫が亡くなって100日。
だからといって法要をするわけじゃないので、いつもと何も変わりませんが、両親が来てくれることになっています。無宗教を選んだので気にすることはなくても、やはり何か節目はある方が良いのかもしれません。
一応、明日の為にお花を買ってきたんですが、やっぱり上手く活けられなくて、何をどうすれば良いのか分からないんですよね。
いかにも仏壇にお供えするようなお花は嫌なので、いつも洋花を買うから余計に難しいのかも。しばらくお花を買っていなかったから、こんな感じでも少しは夫も喜んでくれるかな。
そう思っていたら、花が届きました!
大きな箱に入った花を取り出すと、白い花で統一され、数種類の花で飾られた洋風のアレンジメント。
早速夫にお供えすると、夫の周りが華やかになり、これなら間違いなく喜んでくれているはずです。白は夫の好きな色。これからも、夫には白い花をメインにお供えするつもりです。
それにしても、百ヵ日のことを、夫が亡くなるまで知りませんでした。
ちょっと調べて見たら、
百ヶ日法要は故人を亡くした悲しみに一区切りつける、前を向いて生きていくと言うことを故人に誓う、という考えから行われていることが多い。
とか
「卒哭忌(そっこくき)」とも言われており、遺族が悲しみで泣くことから卒業しようという意味合いがあります。
とありますが、大切な人を亡くして百日で区切りなんてつかないですよ。
百日経とうが、一年経とうが悲しいものは悲しく、何年経っても泣くことを卒業なんてできるはずもありません。
なぜなら、夫と私が一緒に過ごした時間は17年。
良い事も悪い事もいろんなことがあった17年です。それをたった100日で区切りをつけるなんて到底無理な話。区切りをつけるのなら、共に過ごした同じ時間が必要です。
だから、明日は夫が亡くなって100日経った、ただそれだけの日です。
今でも、夫が亡くなったことが理不尽だと思ってしまいます。なぜ生きたいと願っていた夫が生きられなかったのか。なぜこんなに早く逝かなければいけなかったのか。本当に悔しくてたまらない。
100日経っても、想いは何も変わりません。