お別れと出棺

別れと出棺白血病ブログ

別れの日

夫は8月24日の3時58分に亡くなりました。

朝を待ち、9時過ぎに病院を後にし、葬儀社へ搬送、納棺。翌日は私と両親、弟、友人一人と静かに過ごすことができました。

そして26日、とうとう夫と別れの日です。

私は10時頃夫の元へ行き、顔を見ていました。夫の見慣れた顔なのに、逝ってしまうと、身体はここにあるのに「あぁもう夫はいないんだと」嫌でも感じます。

最後の息を引き取ったあの瞬間、逝ってしまったことを信じたくなくても、夫を見ればわかってしまいます。夫はそこに横になっているのに、一瞬で夫の夫であるものが失われてしまい、もう私の夫はいなくなってしまったことを。

こんなにも変わってしまうことが、とてもショックで信じたくなく、辛く悲しく、残された夫の身体を少しでも触れることで、夫を感じようとしていました。

それなのに、納棺されると触れることも出来ず、仕切られた上からただ顔を見ることしかでないことは、本当に辛いことでした。

11時頃には両親、兄、弟、従姉が来てくれ、13時からお別れの式が始まりました。

係の方の進行で順番にお焼香した後、棺の蓋が開けられ、夫の口に一枚の葉で水を含ませました。そして、お花や夫に宛てて書いたメッセージ、折り紙で折った鶴などを、皆で夫の周りに入れることが出来ました。

13時半に出棺。それまでの時間、蓋を開けたままにしてもらえたので、最期にもう一度夫にふれることが出来、時間一杯まで私は夫の頬を何度もなでていました。

係の方から時間ですと告げられ、蓋が閉められることになりました。火葬場では蓋が開けられることもなく、顔を見ることも出来ません。

私が夫の顔を見続ける中、ゆっくりと蓋が閉められ、二度と夫の顔を見ることが出来なくなることに、「どうしてこんなことになってしまったんだろう」と思わずにいられませんでした。

もっと長く一緒に居られると思っていたのに、たった17年。

私より先に逝くのはしょうがないとしても、夫はまだ61歳で、こんなに早く逝ってしまうなんて想像もしていなくて、闘病中の夫の姿を見ていても、治ることを信じていました。

蓋が閉められると、出棺の為入口へ移動し、父、兄、弟、葬儀社の方達で夫の棺を霊柩車に乗せ、私は霊柩車の助手席に乗り、両親たちは弟の車に乗って、2台連なって火葬場へ向かいました。

補足

直葬でも必要ならお別れの時にお坊さんに来てもらい、お経を読んでもらえます。

事前の打ち合わせの時には、今はコロナの影響で霊柩車の助手席には人を乗せないと聞いていましたが、運転手さんが病院からの搬送してくれた同じ方だった為か、私は乗せてもらうことが出来ました。

夫も私も必要がないと考えていたので直葬にしましたが、お別れの時間がしっかりあり、家の近くだからと決めたけれど、この葬儀社にして良かったと思っています。綺麗な所で係の方達も感じが良かったことも大きいです。

直葬も葬儀社によってさまざまで、安置後、面会できないところもあるようです。

基本内容によっては、オプションを付けることが必要になり、高額になることもあります。

直葬だけではなく普通のお葬式も、事前にどこの葬儀社が良いのか、予算はどのくらいなのかを決めていた方が良いと思います。

亡くなってからは、あわただしく即決しなければいけない事が多く、残された者は体力も精神的にも本当に大変です。普通の精神状態ではないのに、ゆっくり考えることも出来ません。

お葬式は亡くなった方の為だけでなく、残された者の為でもあります。自分の為、家族の為、後悔しない為にも一度考えてみて下さい。